『どもってイキイキ自己表現』

植山文雄

 1995年、一部のろう者たちが「ろう文化宣言」を発表した。
「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す言語的少数者である」と「ろう者」を定義し、「ろう」は決して治療すべき「障害」ではなく、「個性」であると宣言した。
 私がドモリ人であることを自覚したのは、1969年、12歳の頃であった。「学校」という閉鎖的、抑圧的な社会のなかにおける「国語」の授業で、私が教科書の朗読をしているとき、突然、ことばがスムーズに出なくなった。周りの子供たちは、何が起こったのかと不思議がる子、ことばを出そうともがいている私を見てクスクス笑う子、じっと見つめる子など、さまざまな反応をしていた。教師と呼ばれる人間は、戸惑いの表情を見せ、しだいに苛立ちの表情に変わり、その目は「早く読め」と叫んでいた。と、私には感じられた。その時以来、私は「先生」と呼ばれる人間たちが大嫌いになった。特に、教師、医者、政治家は大嫌いだ。
 それはともかく、その時より私は、他の地球人たちに私がドモリ人であることを隠し、ばれないようにひっそりと生きてきた(ホンマカイナ)。地域、学校、工場、病院などのさまざまな集団のなかでは、時にドモリ人であることを隠しきれない場合もあったが、多くの地球人たちは私に対して攻撃的態度はとらなかった。ただ、「ゆっくり話しなさい」「あせるな」とドモリに対する負のイメージをいっぱい与えてくれた。もちろん、無視されたり、さげすみの笑いを返されたことは何度もあった。
 そして、1996年12月、岡山周辺に散在する数人のドモリ人たちが決起した。「岡山言友会」の発足である。ドモリ人はドモリ人として生きることを選択したのだ。
 日本という国全体では、1966年に一部のドモリ人たちがすでに蜂起していた。1976年には「吃音者宣言」を発表している(ほとんどの人は知らないと思うが)。「水平社宣言」「青い芝の会行動綱領」に劣るとも勝らない(?)すばらしい宣言文である。全文掲載したいところであるが、私に与えられたスペースには限りがあるため、今回は省略させていただく。このような流れのなかでの岡山言友会の発足であった。
 その後、岡山言友会には各地でひっそりと(?)生きているドモリ人たちが、一人、また一人と集まってきた。そして昨年、全国のドモリ人たちが岡山に集い、「吃音ワークショップ2000in岡山」が開催され、ドモリ人として生きていくことを再確認した。その際には、ドモリ人と友好関係をもっている地球人たちの協力をいただき、心より感謝している。
 2001年3月1日、岡山言友会のドモリ人たちは、「ドモリ文化宣言」の第一歩として、『どもってイキイキ 自己表現』(吃音ワークショップ報告集)をすべての地球人に向けて発信する。ドモリ人と連帯しようとする人も、またドモリ人とたたかおうとする人も、是非、読んでいただきたい。
 吾々ドモリ人は、もう逃げも隠れもしない、大地にしっかりと足をつけて生きていくことをここに宣言する。


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